日本のセクハラに対する意識
よく欧米のニュースを見て、記事を読む。そうすると、日本と海外との違いを目の当たりにし、悲しくなることが多い。その一つが女性差別や蔑視、またセクハラ問題への意識だ。
以前にもその当時の話題になっていた福田元事務次官の例を使って私の意見を書いているので、読んでもらいたい。
声をかけるのはセクハラになるのか?
最近多いのは「何をしてもセクハラになるから、迂闊に女性に声もかけられない」という声である。
これについては、勝部さんがとても良い返答をされていたので、こちらに記載する。
全く違います。日本人男性の考えるアプローチが、好意を二人で高め合う「キャッチボール型」ではなく、一方的に相手に感情をぶつけ続ける「ドッチボール型」だから。日本よりセクハラに厳しい国でも日本よりガンガン恋愛しています。日本人男性のコミュ力の低さをセクハラのせいにしないでください。 https://t.co/3fGQdPCHO0
— 勝部元気 Genki Katsube (@KTB_genki) June 7, 2018
私自身もセクハラのようなことを男性(大体おじさん)に言われたことが何回かある。私の体について「セクシーだね」と言われたりした。言われた感想は「キモっ」としか思わない。それを言われた方の気持ちなどお構い無しだ。なぜいちいちそんなことを声に出していう必要があるのか。謎だ。
私は香港生活での友人は大体欧米の人が多い。もしくは、もちろん香港人や韓国人、台湾人だ。そんなことを彼らに言われたことはまずない。
なのに、日本人男性に会うと「可愛いね、ぐへへ」と言われるのだ。もちろん、友人も可愛い、美しいと言ってくれるけれど、会話の中で自然に言われる。いきなり「可愛いね、ぐへへ」とはならない。
勝部さんのおっしゃっている通り、会話のキャッチボールが重要だ。別に求めてもいないのにお前の感想は聞いていない。聞きたいとも思っていない。
勘違いをしている男性たち
「可愛いと言ったら女は喜ぶに違いない」という一方的な思い込みがこの「可愛いね、ぐへへ」発言を生むのではないだろうか。誰が喜ぶと言ったんだろうか。そんなのを教えているのは誰だ。
女性も男性の勘違いを助長させているのかもしれない。日本人女性も嫌と思いながらも「そんなことないですよー!」と冗談っぽく、嬉しそうっぽく答えるからだ。私たち日本人女性も意識を変えて行く必要がある。今まで日本人男性を甘やかせて来た私たちが、また「本当は違うんだよ」と教えてあげないといけないのかもしれない。
いつになったら私たちの声は届くのか。
現在、ILOではセクハラ禁止国際条約を制定しようとしている。そして、それに対して日本は「多くの国が条約批准できるような柔軟な内容とすべき」と、この条約の制定に難色を示しているようだ。
アメリカも「勧告にとどめるべき」と難色を示していることを考えると、それに合わせているのかもしれない。そうだとすれば、日本としての声はどこにあるのだろうか。先日、ニュースでは「セクハラ罪という罪は存在しない」と答弁書を閣議決定してしまうような日本だ。
どうしたら私たちの声は届くのか。どうしたら超男性社会の日本は変われるのだろうか。
Katie
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