Katieの気ままな生活

@Summarkay 自分探し中

オスカーの舞台で起こったことについて、自分の思いを書く。

自分の中で落ち着いてきたので、いろんな人の意見を読んだ上で、思ってること書く。

 
まず、私は何にしたって暴力で解決することには反対だということ。今回「言葉の暴力」はどうなんだ、という意見を良く見た。それは分かるけれど、それを実際の暴力で返しても何にもならない。

 

常に「暴力はいけないんだ」っていう意識でいなければいけない。
 
私は言葉の暴力を肯定しているわけではない。

フィジカルの暴力も受けたことがあるが、言葉の暴力も受けまくってきたので、言葉が持つ力を知っている。心に深い傷が残っていて、一生許すことができない言葉を言われたこともある。その言葉に支配され、最終的にはカウンセリングも受けた。

 

でも、やっぱりフィジカルの暴力で返すことはない。
 
Willがあの時Jadaをサポートしたかったのなら、何でも出来たはず。席から抗議するだけでもよかった。でも、わざわざ出ていって殴った。

しかも、あの「ジョーク」はJadaに対してであって、Willに対してではなかったのも大きなポイントだった。
今回学んだ"Toxic masculinity"という言葉。典型例とも言える事件だったのだと思う。
この点、Willの謝罪文の中で"My actions were not indicative of the man I want to be." と言ってくれたことに、とても安心した。
 

ドイツで生活する上で、アジア人差別的なことはよく起こる。一度、彼氏の友達に差別的なことを言われたことがある。彼はふざけていただけのつもりだったが、私にとっては差別的な発言だった。

その瞬間は、私も「おいっ!」ってお笑いで突っ込むような感じで笑いながら怒る、という対応してしまった。でも毅然とした態度で「そういうことを言わないで欲しい。」と言えなかったことに自分で悲しくなってしまい、すぐ後に陰で泣いていた。

それを見た彼氏は、「僕から言おうか?」と言ってくれた。

そして、彼くんはその日中にタイミングを見計らって、その友達に「もうそういったことは言わないように」と伝えてくれた。彼くんがサポートしてくれて嬉しかったし、友達も理解してくれたし、とても平和に解決した。

 
これでいいんじゃないの?
 
サポートを表す方法はいくらだってある。それが暴力である必要なんてない。

 

私は暴力を経験してきたので、あのシーンは恐かった。トラウマが蘇った。

現地で中継を見ていて、フラッシュバックしていた人もいたかもしれない。

正直、Willの映画はしばらくは観られないかもしれない。(インスタもフォローを外してしまった。)

 

あれを許し、そのまま居させたアカデミー協会は何を考えているんだろう。

Willは謝罪文を書いたわけだけど、受賞後パーティーに繰り出していたのを知っているし、今後を見守りたい。

 

これで、Chrisも謝罪したらよかったのにな。

自分の過去のブログを読んだ

先日、過去に書いたブログを読んだ。

ブログ自体を始めたのはまだ香港・中国を行き来していた頃で、ドイツのワーホリビザを準備しているあたりだった。
そこから辞めると会社に言ったり、ドイツに来る準備をしたりしている様子が書かれている。

懐かしい。

いつの間にか「記事」を書こうと一生懸命ネタを探していたら、そんなに書きたいネタもないかもと思ってきて、そこからどんどん更新しなくなったような気がする。

過去を遡って懐かしい思いをするためだけに、自分のために書くのも悪くないかなぁと思うようになったので、またブログの時間を少し取ってみようかなぁ。

とはいえ、最近の生活は全く張り合いのないものである。
毎日家でリモートで仕事をして、終わったら家事をして、寝る。
それだけである。特に書くものもない。

とはいえ、就活とかキャリアについてもいろいろ考えることがあるので、そんなことを書くのもいいかなぁ。

もう少し日本語を書くということもしていきたいので、良いかもしれない。

人を許すということ

小さい頃から、特に家族との関係にはすごく悩んで育った。

その中で、家族に言われたりされたことに対して、恨んでいてわけではないけれど、頭から離れず、それが私の精神を蝕むこともあった。

 

でも、なんだか自分の中で「許さなければいけない」と思っていて、でもその言動に傷ついてきたわけなので、なかなかできないでいた。

「許さなければ」どうやって「許す」ことができるんだろうか。とずっと悩んできた。

 

でも、20代半ばのとき、ある人から「許す必要はない」と言われた。
もっと詳しく言うと、その人は敬虔なクリスチャンだったので「許す必要はない。その代わり、その人の幸運を祈ってあげなさい」って感じの言葉だったと思う。

 

許さないでいいって選択肢があったのか。
目から鱗だった。

今までその選択肢はなかったんだもの。

許さなきゃ、許さなきゃって自分で自分を縛りつけてた。

許さなくていいって言われて、心がスッと軽くなった。
私が思い悩んでいたその言動は、私の心や脳から少し薄れてくれた。


祈るかどうかは分からないけど、でも言いたいことは分かる。
相手を私がされたことによって縛りつけて、恨む必要はない。

 

私を傷つけてきた言動に「許さない」ということで向き合えた。
割り切ることができた。引きずらなくなった。

 

もし、「許さなきゃ」って思い悩んでいる人がいたら教えてあげたい。
「許さなくていい」という選択肢。

久々の更新

2019年9月からブログを更新していなかった。
書きたいな、書こうかなと思っていたが、いざとなると、なかなか気分が乗らなかった。

書きたいネタはたくさんあるけど、何から書けばいいのか。。

2019年9月はどうしていたかな。まだビザ(居住許可)の準備をしていた頃だ。
それから私はすでにビザをとって、それなのに、3月からは日本に止まっている。(不可抗力だけれど。)

3月に一時帰国で日本に来た。4月初めにドイツ帰る予定だったのに、このコロナ禍で飛行機がキャンセル。やっと7月初めの飛行機をとることができた。

久しぶりの日本での生活。家族との生活。家族、と言っても母と2羽の鳥ちゃんたち。

 

鳥ちゃんたちは本当に癒しで、彼らも私がいつもいるのが嬉しいようで、色々と反応が変わってきた。

例えば、鳥ちゃん(大)は背中を触れるのがいやで、抱っこというか、掴まれるのをすごく嫌がっていたが、最近は嫌がらず、むしろまんざらでもなさそう。
そして、チューも嫌がってたが、最近は自分から顔を近づけて来るようになった笑

鳥ちゃん(小)は、自分のケージが好き。出しても前はすぐに自分から帰っていって、じっとしていた。今は、帰ってもまた出てくるようになったし、毛並みがすごく艶やかになった。
(愛に飢えてたらしい)

 

そんな癒しもいるのでなんとかやっていたが、最近、爆発しそうだ。

仕事はリモートだから問題なく家でやっていたけれど、それ以外だと走りに行く以外は基本家にいるだけだし、ただでさえ出たかった家、もう嫌だ。

色々なことが思い出されて、すごく悲しくなることも多い。
家族的にも今、ちょっと色々あるので、さらにきつい。

私の部屋は私が家を出てから、物置になっていた。それをなんとかベッド部分を開けて、使っている。この数ヶ月で大分片付けたが、まだまだ荷物がある。
それらの箱を見るだけでもイラつくことがある。

あと数週間の我慢。
でも、この数ヶ月でわかったのは、私が日本を出たのは正解だったということだ。
きっと日本にいたら、私は家族に縛られて、どうにもならなくなっていただろう。


私は人のためには生きることはできない。
自分のためにしか生きることができない。

それがはっきりと分かったんだ。

自分の生き方をすごく考えている。
私は今後どんな人間になっていきたいのだろうか?

内在する差別意識

最後のエントリーから早4ヶ月。まぁ、そんな時もある。

書きたいと思うことはあるが、いざ書こうとすると筆が進まない。(筆じゃないけど)

 

今回は、自分に内在している差別意識について書こうと思う。
何に対する差別意識なのかは、書かないでおくことにする。自分でまだ消化できてないし、何しろ差別についてなのでセンシティブな問題だから。

人種に対してかもしれないし、障害や病気、もしくは社会的地位に関することかもしれない。それ以外かもしれないし、皆さんのご想像にお任せする。
同じではないにせよ、きっとそれぞれにあるだろう内在した差別意識について考えるきっかけとなれば、幸いである。

 

さて、先に述べたように、私にはあるカテゴリーの人たちに対して差別意識がある。
実際に私の周りにいて、仲良くしている。その人たち自体が嫌いな訳ではない。

しかし何か事あるごとに、または何か話し合うごとに、その違いが明白になることがあり、少し困惑すると共に「あぁ、この人は〇〇だから…」と思ってしまうのだ。

 

それは差別意識なのだと思う。

別に私が優れているとは思わないが、その人にない経験をしているものとして、私は恵まれているとは思っている。そしてその経験なり、考え方が私たちの違いに大きく影響していると思う。

でも、差別意識を持っているということに対して、罪悪感もつきまとう。
例えばドイツで私が日本人ということで差別を受けたとして、それは不当だし、許されるものではないと憤慨する。

本来そんなことあってはならないのだ。
でも、どうしてもその違いの事実が、その人たちに対する印象に影響してしまう。

例えば、日本でも、街中でちょっとでも見た目が違う人(外国籍の人、ハーフの人など)が職質を受けやすいというのを聞いたことはないだろうか。
それを聞くと、私は不当だと思う。この問題に対しては賛否両論あるだろうが、要は同じことである。

私がしているのは、見た目で怪しいとその人を疑っているのとなんら変わらないのである。

そう思うと、自分にがっかりする。
この問題をいかに克服していくかが、自分にとって大きな目標である。

 

この話にはオチはない。
それに、問題も解決していない。でも、少しでもこの問題について言語化してみたかったので、今回このブログを書いた。

皆さんにはこのような内在した差別意識はあるだろうか。
その場合、どのように克服しているのだろう?もし、何かアドバイスがあれば、教えてください。

 

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就活での悩み

現在、絶賛ニート生活中である。
しかしニート生活に入って一週間くらいして、すぐにストレスを感じるようになった。今までは学校に行くという目的があったが、今はただただパソコンの前に座って、就活してみたりしているだけだから。

ということで、Onlineでドイツ語・英語のコースを受けてみたりと、やらなければいけないことを自分で作ってみたりした。

でも、やはり7月半ばまでに仕事を見つけられなければ、日本に帰らなきゃいけないというプレッシャーは非常に大きい。

就活をしながら、自分の今までの仕事について考える。(この記事にオチはありませんので悪しからず。)

 

 

香港・中国での仕事は、学ぶこともたくさんあったけど、会社の私や先輩に対する扱いが非常に雑だったと思う。明確な戦略があって日本人を雇っているというよりも、日本人がいればなんとかなるだろ、と思っている感じ?

でも、じゃぁ、次に何をしたいのかは分からず、どこに行きたいのかも分からなかった。確実に分かっていることは、日本に帰る気はないということだけ。

毎日ふとした瞬間に頭に浮かぶのは「別に好きじゃない国にいて、別に面白いと思うことをやっている訳でもないのに、なんで私はここにいるんだ?」ってこと。
働いてる5年間、ずっとそう思ってた笑笑

でも、この会社に勤めてよかったのは、お金が稼げたこと、そして旧正月などのまとまった長い休みがあったので、色々なところに旅行にいけたことだった。

 

チリ、バルセロナ、カリフォルニア、ミュンヘン。。
5年の間に旅行したところ。

そして、確実に分かったのは、私は自分がいて心地の良い国で働きたい。
ということ。そしてそれは日本でも、中国でも香港でもないということ。

2017年にミュンヘンに来て、ここだと思った。(何があった訳でもないけど)

だからこちらに来ることにした。

 

そして今、私は自分が選んだ国で就職しようとしている。

でも今の問題は、
- ミュンヘンには私に合う求人が少ないということ。

- 自分が本当にしたいことが分からないということ。

- 5年間やってきたことに100%の自信を持って「これができます!」と言えないこと。そしてだからこそ、自分の「売り」が分からないこと。

ということで、結構自信を失っている。

自分が好きな国にいれるなら、なんの仕事でも良いと思うのと同時に、それではパフォーマンスがよくなければきっとクビになるという恐怖と。
自分が器用だったら、きっと好きでない仕事でも、パフォーマンスが十分に見せられるんだろうに、超不器用なので、うまく世の中を渡っていけない。

何がしたいのか全く分からないのが痛い。
でも、今考えるべきは
ビザ>やりがい なのか??

そこらへんのバランスが難しい。

でも、日本に帰るのは論外。多分、私は幸せに慣れない。

全くどうすれば良いか分からん。

 

あぁ、何もしなくてもビザとお金降ってこないかなぁ。。。

 

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ドイツ9ヶ月目。今思うこと、していること。

ブログは随分とご無沙汰だった。実はずっと書きたかったが、なんだか時間がいつもない。書こうと思う頃にはいつも疲れていて、すぐにベッドへ入るということが多いからだ。

さて、全く書いていなかった間にどんなことしていたかを書いていこうかと思う。
今回のブログの内容は個人的なこと。何一つ有益なことなどはないので悪しからず。

 

 

ドイツに来て9ヶ月が経った。思えば早かったけど、まだまだあるという思いもある。
なぜだか終わりを焦ってはいない。焦るべきだろう。仕事を探さなければいけない。

 

この9ヶ月、何をしていたかと言えば、ドイツ語の勉強だ。ワーホリで来ているのだから、働く選択もあったが、ドイツ語を優先した。私の目標はドイツに残ること。そのためには言語習得は必須である。

とは言え、現在B2勉強中だが、なかなか成績が伸び悩んでいる。B1までは平均成績1.5だったのにな。。(1が一番良い)この間成績を聞いたら、3.75だった。非常に悪い。非常に非常に悪い。

一番足を引っ張っているのはリスニングだ。全くできない。できる自信もない。得意な文法でなんとか点を稼いでいるようなものである。B1まで成績がよかったのは、B1までは基本の文法を学ぶのが中心だからだ。B2になるとぐっとレベルが上がり、必要な語彙も増えるし一気についていけなくなった。

ということで、4月末までのB2のクラスが終わったら、一旦学校に行くのはストップすることにした。その後は仕事が見つかるまでは就活しながら自分で勉強して、ゲーテかTelcのテストを受けることにしようと思う。

目標は少なくともC1を取ること。でも、その前に一度休憩をしようと思う。

 

さて、就活はと言えば、先月末から必死に履歴書 (CV)を書いているところである。
海外が長いくせに、CVを英語で書いたことがなかった。英語のCVは終了したものの、ドイツ語バージョンも作っているので、そちらに時間がかかっている。

ドイツ語、英語バージョンを翻訳すりゃーいーやんって思っているそこのあなた。違うんですよ。まず、テンプレが違う。そして"Motivation Letter (Bewerbung)"ってのが必要なんです。英語バージョンとは全く異なるものなのです!!英語バージョンは、アメリカバージョンってことですかね。イギリスは違うのかしら。

まぁ、そんな謎は置いておくとして、そのMotivation Letterに時間がかかってます。とりあえず、伝えたいことを英語で下書きしたところ。それを今度はドイツ語に翻訳してやろうと目論んでいるのであります。

本来、私、何かを書くときにはその言語でそのまま書く派。英語の勉強もそうやってきた。日本語→英語だと、確実に翻訳できない言葉や(文化的な)感覚が出てくる。そうすると変な文章になってしまうので、そのまま訳さずにその言語で書くという練習をしてきた。ドイツ語もあまり英語→ドイツ語で書くこともしてこなかった。英語の勉強で慣れていたので、そのままの言語で書いた方が楽に思うようになってしまっていたからだ。

でも、今回のMotivation Letterは特別。まずどんなことを書くか、どんな構成にするか。一度英語で書いて整理する必要がある。とは言っても、ドイツ語的な文章構成や言語の選び方があるので、ドイツ人の彼氏に英語バージョンをみてもらい、ドイツ語に訳しやすいような構成にしてもらった。これからこれを訳して、またドイツ語バージョンを彼氏に見てもらい。。ということになりそうである。

彼に翻訳をしてもらうのは簡単だが、責任感だけは人一倍の私は、全部人任せにするのは好きでないので、自分のものはきちんと、自分のためにも、自分で訳したいと思っている。(こうゆうところが不器用なんだと思う。。)

さて、なぜ日本語→ドイツ語にしないかというと、全く違う言語だからだ。英語はドイツ語と親戚だから、少しは訳しやすい。日本語の感覚ではかけない...

 

イースターが終わったら、一斉にメールを送信して、応募しまくれたらと思っている。と言っても、そんなに募集はないのだけど。。(自分に合ったやつ)

とりあえず、5月からはバイトしながら就活できたらと思っている。うまくいきますように。。
7月半ばにワーホリビザが切れるので、それまでに見つけなければいけない。とは言っても、日本で就職する気がさらさらないので、決まらなくてもドイツでの就職を目指すだろう。

もしかしたら、ミュンヘン以外にも幅を広げなきゃかなぁ。。ミュンヘンじゃないとやだなぁ。。
今後、また考えていきたいと思う。

 

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