I love youのハードルとは?
最近、愛だのなんだのについて考える。答えのないものだから、難しい。
何をもって幸せというのだろうか。結婚、仕事、趣味、・・・色々な選択肢がある。相手が好きでなくても、お金があれば幸せという人もいれば、愛さえあればお金なんて、なんていう人もいる。仕事が面白いから恋愛は二の次、という人もいれば、恋愛していないと落ち着かない、なんて人もいるだろう。
何が自分を幸せにしてくれるのだろう。
私は、愛という言葉をあまり軽々しく言えない。そして「愛している」と言われても、半信半疑になってしまう。お前のその「愛」とやらは本物なのか?と、聞いてみたくなる。(魔王にでもなった気分だ。)
愛が分からないわけではない。でも、ただ、気軽なものではないと分かっているから、ちょっと疑ってしまうのだ。言われるのは嬉しいけれど。同時に困ることもある。
特に欧米ではよく友達や家族にも”I love you”と言うけれど、これって、アイラブユーと言うハードルを下げているということはないのかな?彼らはストレートにモノを言う人たちなんだとはいっても、やはり言いやすい雰囲気と文化ってのはないのかな?そうなると、愛 (Love) の言葉自体の重みって文化によって違ってきたりするのでは?
そんなことを考えているのである。
もうアラサーの私にも、愛していると言ってくれる人が今まで何人かいた。
この言葉をどうやって信じられるのか。
「行動で示してくれなきゃ!」と言っても、どこまで行動で示す必要があるのか。
それを受け入れる人間は、どれだけの覚悟が必要なのか。
うーん、分からない。
Katie
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