Katieの気ままな生活

@Summarkay 自分探し中

私たちは日本を変えることはできるのか?

なんだか、すごい重いタイトルになってしまったが、今回は私見を述べるというよりも、思ったことや事実を淡々と書いていきたい。
なぜなら、私自身が少し戸惑っているからだ。

 

5人で一人の女性を警察官が5人でレイプし、不起訴となった事件をご存知だろうか。
こちらは不起訴に不服申し立てをしている。

www.sankei.com

 この裁判で、この元警察官らは「大人しくなったから同意したと思った」と供述。そして不起訴。

そしてこの事件。

www.sankei.com

慶応大の生徒が集団レイプを行い、こちらも不起訴になった。そして、何よりもそのうちの一人はレイプの常習犯で、五回も逮捕され、全て不起訴になっているのだ。
そして、この生徒らはお咎めなしで今も大学に通っている。

 

これらのニュースを立て続けに聞いて、私は戸惑っている。明らかなレイプ事件にも関わらず、不起訴。私たちの身にこのようなことが起こったら、何ができるというのだろうか。

一部の日本人は、「日本は性犯罪が他国に比べて極めて少ない!素晴らしい国だ!」と言っているようだ。

これらの明らかなレイプ事件についても不起訴になる。ということはこれは性犯罪にカウントされていない。
また、レイプされて、全員が被害を報告しているわけではないだろう。

私たち日本女性は日常的に性犯罪にあっている。痴漢だ。
これは毎日、どこかで、いつでも起こっている。でも、どれだけの人が被害を訴えている?本当にごくわずかだ。

私自身、日本に住んでいた時は、日常的に痴漢にあっていた。もう、それは数えきれないので、どれだけあったかなんて言えない。それくらい痴漢にあった。
では、私は被害を訴えたことがあったか?一度もない。

 

それでも性犯罪が少ない国と言えるのか?

 

これらの事件が不起訴になったり、政治家の度重なる女性を軽視した発言を聞いたり。
私たちはどうしたら日本を変えていくことができるのだろうか。

日本は女性の権利、女性の人権に関して後進国である。どうやったら私たちのマインドセットを変えることができるのだろう。いや、男性のマインドセットを変えるべきなのか?もしくは女性も変わるべきなのか?

 

どうしていけば良いのか。
今回は私見というよりも、だらだらと書きたかったので、ここでやめることにする。

もし、何か思うことがあれば、ご意見を伺いたい。ぜひ、コメントを。

 

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2018年を振り返り、2019年を見据える

投稿が2ヶ月以上もあいてしまった。そして2019年になってしまった。

月日が流れるのは本当に早い。1月も半ばにさしかかっているが、人生が大きく動いた2018年を振り返り、また2019年の抱負でも語ろうと思う。

 

2018年を振り返る

  • 香港・中国での生活に別れを告げた

2018年は5年間過ごした香港・中国を出て、ドイツに移住をしたという、人生の一ページが大きく動いた年だ。昨年の今頃は、すでにドイツ行きを心の中で決めていた。ビザを取るタイミングなどを計画していた時期だと思う。ドイツへ移住を決めたきっかけはまた書こうと思うが、 まだ多くの人には打ち明けていない時期だったと思う。

4月には日本へ帰ってワーキングホリデービザを取得。5月には会社に辞める旨を伝えて、色々問題はあったけど、6月いっぱいで会社を退職した。

 私よりも若い上司には、突然辞めると言ってびっくりさせたし、社内の政情で苦労している中で爆弾を投げた感じになってしまったけれど、そんな彼も含めてみんなに「ドイツで頑張って!」と送り出してもらえたことは本当に嬉しい。会社は好きになれなかったけど、笑顔で中国を出れたのは大切なことだと思う。

  • そしてドイツへ

7月半ばにベルリンへ到着。そこから2週間旅行をしてミュンヘンへ無事到着。

8月からはドイツ語の学校が始まった。ダンケシェーンしか知らない状態から始まったドイツ語。でも、ドイツ語はやらなきゃいけないっていうのもあるけど、でも自分に合っていると思った。だから楽しく勉強できている。

ブログにも書いたが、9月半ばには自分のアパートメントが見つかって、やっと自分の場所で、自分のペースで生活できるようになった。大家さんやお隣さんにも恵まれていて、本当にラッキー。感謝しかない。

katiekt-94.hatenablog.com

 

ミュンヘンでの生活はとても質素。午前中は学校に行って、午後は図書館等で勉強。本当にそれだけの生活。なるべく料理をするようにしているし、買い物も全くしない。でも、こもりすぎるのもいけないので、それなりに遊んではいるけれど。遊びすぎないようには注意はしている。

バイトは少し経験した。11月には日本食レストランで働こうとしたが、2日目にして負傷。しかも契約書を1ヶ月も用意できないというので辞めた。

また、12月後半はショッピングモールの靴屋さんでバイトさせてもらうという機会をもらった。こちらは完全にドイツ語必須。全くできない自分に嫌になったが、楽しい経験だった。
こちらでできた仲の良い友達の紹介だったが、ドイツ語が話せない私をよく雇ってくれたなと思う。
でも、お客さんも私がドイツ語できないと思うと「英語で大丈夫だよ〜、練習したいし!」と言ってくれたり、年末だったので「Happy New Year!」と英語で言ってくれたり、とても優しい人もいた。(もちろん、失礼な奴もいるけど)

そんなこんなですぐに2019年はやってきた。

 

2019年の抱負、目標、今後

  • ドイツ語

もちろん、ドイツ語を上達させなければならない。

今週からB2-1のクラスが始まったところ。2019年の7月までにB2を取るという目標があったので、それを考えるとなかなか良いペース。C1まで終わりそうだけど、就活との間で、どうしようか悩んでいる。少なくとも、B2-2までは終えるつもり。

しかし、B2を取っても話せなければしょうがない。現在の目標は話せるようになること。現在、全く自信がない。すぐに英語に逃げてしまうのが痛いところ。積極的に喋っていかなければいけないなと思っている。(でも難しいんだよー涙)

  • ビザ取得 (就活!!)

私おワーホリビザは7月半ばまで。それ以降どうするかな、とずっと考えている。もちろんドイツに残りたい。

こちらに来ると決めた時は、フリーランスビザの取得を目指そうかな?と思っていたのだが、色々と考えた結果、自分には合っていないんじゃないかという結論になってきている。

それでは学生ビザ?と思った。これが一番簡単。DSH(ドイツの大学を受けるためのテスト)を目指すビザというのがあって、これだと3年ももらえるらしい。(噂で聞いただけなので不確か)「目指す」と宣言すればいいだけなので、簡単である。

でも、結局仕事を探すのを目指すという結論に落ち着き始めている。それにはきっかけがある。

11月後半から12月初めにかけて母がドイツへ来た。ちょうど時期だったのでクリスマスマーケット巡りをした。ザルツブルグニュルンベルグにも旅行に行った。

母がいた1週間、私はほぼお金を使わなかった。それは、母が出してくれたからだ。旅行に行っても母が出し、自分が買いたいと思ったクリスマスマーケットで見つけたものも、母が買ってくれた。

30過ぎた娘に、年金暮らしの母がお金を出してくれているという事実がとても悲しかった。むしろ招待したかったけれど、貯金を切り崩して生きている今、それはできない。ありがたかった反面、こんなのは1年だけで十分と思ったのだ。

「ドイツに残る」という目標を達成する為には学生ビザが一番楽チンかもしれないけど、人生における意味が見出せない。きちんと働いて社会と両親に還元していかなければいけない。

特に、両親はもう私が好き勝手やっているのに対して、むしろ協力してくれているし、きちんと安心させられる生き方をしなければいけない。

ドイツに来た母は最初「1年で日本に帰ってくるでしょ」と言っていたけれど、私の生活の様子を見て、最終的には「来年はここ行こう」というようになっていた。こいつ帰ってくる気ないな、と悟ったようである。笑

そして、その「来年」である今年は両親を招待できるようにしたい。少なくとも、豪華なディナーには招待したい。

  • プライベート

実は、11月末に彼氏と別れた。詳しくは書かないが、現在いろんな人とデート中だ。彼氏欲しいな。。

また、彼氏だけじゃなくても、学校の外にもどんどん友達を作っていきたいなと思っている。昨日はイベントに参加して、たくさんの人に出会った。今後も積極的に参加していきたい。

 

こんなところだろうか。2019年も良い年になりますように。

 

 

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日本人であること。

長くブログを更新していなかった。
10月は一度も更新していない!最初の目標は毎日ブログ更新だったので、反省。

 

さて、ブログを更新していなかった間にも色々と考えることはあった。そのうちの一つを書いていこうと思う。

タイトルからも分かる通り、日本人としてのアイデンティティについてである。

海外で暮らしていると、日本人としてのアイデンティティの問題はどうしたって頭を過ぎる。

特に、今は語学学校にいるので様々な国の人と日々接している。だからこそ、日本人とは?と思うこともある。

自分で言うのもなんだが、私はあまり典型的な日本人の振る舞いをしない方だと思う。
日本を出てもう6年目。中国・香港文化は私を完全に変えてしまった。。(のか?)

とは言いつつ、自分、日本人だなーと思うことだってある。
例えば、元彼と話していた時の話。

詳しい内容は忘れてしまったが、彼に何かを相談していたのだったと思う。
彼は、「じゃぁ、これをすればいいんじゃない?」と提案してくれた。
私の回答はというと、

「どうやるか分からない!」

すると、彼は言ったのです。

「分からないなら素直に「やって!」って言いなさい!DON'T BE JAPANESE!」

それで気づいたのは、確かに日本人って直接「〜をして欲しい」と言わず、「〜するよ」を相手から引き出す会話の方法するよなぁということ。

それを彼に言われて気づいて、大爆笑したのだった。

そんな、海外生活で自分のアイデンティティが少し揺れ動きながらも、日本人として誇りを持っているからこそ、ヨーロッパに来てすごく嫌な想いをすることがある。

それは彼らのいう「日本人・中国人・韓国人」みんな一緒問題である。

確かに彼らからしてみればみんな顔一緒に見えるのだろう。私も白人を見分けるのは難しい。だから分かる。

しかし、時々声をかけられるのだ。

「ニーハオ」

すごくイラっとする。非常にイラっとする。

そんな時はこう返す。「私、中国人じゃない。」(ぶっきらぼう目)

多分、彼らにしてみたら親しみを込めて言っているのだと思う。
しかし、私のアイデンティティを勝手に思い込みで決めてしまうのはあまりにも失礼ではないか?

 もちろん、そんな人ばかりではないが、思い込みで決められるのは非常に不愉快である。

なぜ間違えられるのがこんなに嫌なのか自分でも考えてみた。
最初は、島国根性なのかな?と思ったりした。
日本は島国で、95%以上が日本人で構成されている国である。(さっと検索した所によると、2015年で97.9%)

今は外国人も増え人口比は変わってきているのかもしれないが、いわゆる「単一民族国家」である。自分が「日本人」であることは「当たり前」で、他の何者でもない。という意識の中で日本で生きてきたのだ。

しかも日本は島国で、隣の国の人が簡単に入ってくるという国でもない。

しかし海外に出た途端「日本人、中国人、韓国人みんな一緒。」と言われるのだから、いただけない。私は日本人だ!!と叫びたくなった。
というのが最初の考察であった。

しかし、多分違う。確かに一つの要素ではあるのかもしれないが、違う。

私はただ単にリスペクトして欲しいだけなのだ。
「お前はどうせ中国人だろう、同じ顔だし。ニーハオ。」と言われるよりも、「どこから来たの?あぁ、日本?日本語少し知ってるよ!こんにちは!」と言われる方がすごく嬉しい。

そうやってリスペクトしてくれる人がいて、そうやって話しかけてくれた人が何人もいるから、勝手に決めつけられるのが非常に腹たつのである。

かくいう私も、気をつけないといけないのである。
外国人と見れば英語で永遠と喋り続けてしまう。共通語だからしょうがないのだけれども。もう少し、相手の国のことをリスペクトしようと思う。

 

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ミュンヘンでアパートメント探し

1週間前にやっと自分のアパートメントに引っ越した。

それまではmixbという海外在住者用のウェブサイトで見つけた、日本に1ヶ月半、一時帰国していた方のお部屋を借りていた。
こちらのお部屋、場所は市の中心にとても近く、学校まではdoor to doorで15分くらいという好立地だった。

でも、非常に古いし汚いし。。で、あまり好きではなかった。
(クモの巣窟だったし、シャワーはカビに覆われていた。。)

借りていた1ヶ月半後にはすでに自分の部屋を借りなければいけないというプレッシャーは半端なかった。というのも、ミュンヘンは部屋を見つけるのが非常に難しいことで有名なのだ。

みんなインターネットで探すのだが、例えドイツ人でも20通くらいオーナーにメールを送っても、1、2通メールが返ってくれば良い方。
外国人の、しかもドイツ語ができない私には本当に難しい。(一応、何通かメールは返って来たが。)

需要が高いので値段も高く設定している場合が多い。元々、ドイツで一番Living costが高いミュンヘンで、さらに高く設定されていると、すごい金額になる。でも部屋が見つからないくらいなら支払う、という人もいるのだ。(香港と比べてしまうと安いのだけれど笑)

ということで、私の部屋探しも難航した。

そんな時、友達が「新聞に広告を出して見たらどう?」と提案してくれた。彼女の友達がそれで部屋を見つけたというのだ。
藁にもすがる思いでその友達に助けてもらい新聞に広告を出した。

広告を載せたのはMünchner Merkurという新聞。名前からも分かるが、ミュンヘンで多く読まれているらしい。
1ワード2€で広告を載せられる。部屋探しだけではなく、車や家具などを売りたい人も広告を載せているようだ。

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私は年齢、日本から来たということ、性格、ドイツ語を学んでいること、またワンルームアパートメントを探しているということと、電話番号、メールアドレスを載せた。これで90€だった。
土曜日に2週間連続で載せてくれるということだった。

そして、いよいよ最初の土曜日。今時新聞など読む人がいるのだろうか。と不安だった。

しかし、朝の時点で既に2件の電話。
午後にもさらに電話が!1日で合計7件ほど来た。インターネットだと、何件もメールを送ってたった2件の返信だったのが、1日で7件も。

しかも、多くの人が日本人に好意的な人だった。
「日本に行ったことがあって、とても好き」とか、「日本に住んでいた」とか、そういった人も多かった。

香港でもそうだったが、日本人は「静か、きれい、問題を起こさない」ということで、テナントとして人気だ。香港でも私と中国人で同じ部屋を求めていたが、中国人の方が家賃の提示は高かったのに私を選んでもらった。

ドイツは日本から遠いし、どうなのだろうかと思っていたが、やはりこうした日本人に対する印象はドイツにもあった。電話をもらったところに見学に行くと「他の候補者がいるけれど、決めてくれるなら他の候補者は断る」と、どこでも言われた。

また新聞広告の良いところは、新聞を紙媒体で読んでいる年齢層は大体リタイアされた方など高齢層で、良い物件を持っていることが多いし、また家賃も安くしてくれるということだ。

若い人が投資目的で買った物件を借りるよりも、大家として余裕があるし、温かく迎えてくれる。

何よりも、こちらからメールを送って、メールの返信が来ないとやきもきするよりも、少しお金を出してでも広告を載せて、こちらに好意的な人の家を「選ぶ」ことができるのは大きい!インターネットのやり方では、選ぶことはできないのだ。この違いは本当に大きい。

ということで、私はミュンヘンでの部屋探しは新聞広告をオススメする。
ドイツ語が必須だが、現地に友達がいれば助けてもらいながらやってみるといい。
私も提案して助けてくれた友達には本当に感謝している。

広告に載せた電話番号も友達のもので、高齢層はドイツ語しかできないことが多いので、電話対応してくれた。優しすぎる友達。。

私の大家さんもとても素敵で優しい人で、観光業に従事していたからか、色々な情報をくれたりした。

こうしてテナントを迎えてくれる大家さんを探すのは難しいと思う!ありがたい。

これから、このアパートメントでどんな生活が待っているのだろう。
楽しみだ。

嫌われ者Bくんのお話

昨日ドイツ語のサマーコースが終了した。
そんな私達のクラスには、ベトナム人のBくんがいた。彼はまだ19歳。若い。そんな彼は結局クラスの嫌われ者になってしまった。

なぜ彼は嫌われ者になったのかを客観的に見ながら、人間観察をしたいと思う。

Bくんの紹介

彼はベトナムハノイ出身の大学2年生19歳。
ご両親は会計士と言っていたから、ベトナムではお金持ちの方なのかなぁ、と勝手に思っている。そうじゃないと夏休みにこうしてサマーコースなんて出られないだろうし、2月からはオーストリアで短期留学するらしい。

彼はお調子者という言葉がぴったりな感じの子だ。ザ・適当という感じだろうか。
でもいろんな人と臆せず話すし、みんなの名前を覚えてる良い子というイメージもある。

私が今、他のクラスメートとすごく仲良くなったのも、彼がきっかけだ。彼が他のクラスメートと30分休みにコーヒーを飲みに行く際に私も誘ってくれたのだった。

Bくんの問題点 その1

Bくんは前述した通りお調子者。常にどこかにフラフラしていて、会話に入ってくる感じのタイプの子だ。
ミュンヘンに知り合いが一人もいないらしく、常に暇だし、一人で行動しなければいけなかった。だからいつも誰かとどこかに行きたがっていた。

そんな彼はクラスが始まって1日目に、クラスメートに一緒に週末にプラハに行こう!と聞いたそう。
そのクラスメートは当然「いや、行かない。。」「君のこと知らないのになんで行かなきゃいけないの(苦笑)」と返答したそう。

そう、空気が読めないタイプだったのだ。

また、みんなで話をしているときも話の途中でなぜか違う話を私に振ってきたり、下ネタを話していて、みんなで「下ネタはやめよう!」となっても、しばらくすると話をそっちにまた戻そうとしてみんなに怒られたり。。

「空気を読む」のは日本人、と思われているが、私は空気を読む能力は世界共通で必要だと思う。
空気を読めない人間は、結局相手にされなくなってしまうものなのだ。

Bくんの問題点 その2

私が彼について一番嫌だったのは、少しズルい部分やルーズな部分があったからだ。

例えば、Bくん、Cくんと一緒にケバブ屋さんに行った時の話。
全員同じものをオーダー。カウンターで支払うので、私は自分の分を当然出した。
しかしBくんは支払っている気配がなかった。Cくんが払ったらしい。

お金がないのかと思いきや「コーラ買ってくる」と飲みのもを買いに行ってしまった。そして、ケバブ分は出す気配なし。私とCくんの頭は?マークで囲まれた。

彼はいつも人から物を与えてもらって、返そうとしないタイプのようだ。
そして、自分では最低限の物しかお金は払わない。

お金の話はしていない。Cくんも数ユーロのケバブなど問題にはしていない。
大切なのは、信用できるかできないか。というところだ。

そして、最終的に私が大激怒した事件が発生。
土曜日に一緒に遊んでお金を貸したのだが、月曜日に持ってこなかった。そして、それを問いただすと、「いくらだっけ?」と言ったのだ。

不誠実な態度に怒り、最終私が指定した場所と時間に来させるようにして、お金を回収したのだった。(本人は一緒にATM行こう〜とノンキに言うので「行かん(怒)」となった。)

そういった姿を見ていたみんなは、当然彼を信用することはなかった。
少しなら若いから。。で済まされていたが、そういった件が度重なったことで、若いからでは済まされなくなったのである。

Bくんの問題点 その3

これは問題点というよりは、文化の違いだが、それもみんなが彼を嫌がる対象にしてしまった可能性は大いにあるだろう。

まず、食べるときにクチャクチャ音を立てる。テーブルマナーがなっていないなど。
こうした文化の違いはどうしても自分で理解し、直そうとしないといけない。郷に入っては郷に従わなければならないのだが、それは19歳の彼が一人で気づくには難しいのかもしれない。

昨日みんなで最終のランチを食べに言った時も、ソーセージをフォークに刺して丸ごと食べていて、みんなから引かれていた。
クラスメートの一人が「ナイフでカットして食べるものなんだよ。」と伝えていたが、「いいんだ、こうやって食べるのが好きなんだ」と返していたので、なかなか難しい。

最終的にはみんなから拒否される

最初は若いから。。と見逃していたクラスメート達は、最終的に彼を拒否し始めた。
Bくんがすごく仲良くしたがっていたCくんは「君とはもう一緒に飲みには行かない。ベビーシッターはしたくない!」とはっきりと彼に言っていた。

最初の半月はBくんの隣に座っていたDくんも違う席に移ってしまうし、違う日にはBくんの後ろに座っていたAちゃんも違う席に移ってしまった。結局みんなから避けられてしまったのである。

それでも彼はみんなに話しかけるが、一緒に遊ぼうと誘っても、みんなの答えはNOだった。

悲しい結末

結局誰とも本当に仲良くなることができずに、ベトナムへ帰ることになってしまった。
彼は若かったが、それではカバーできない部分が多かったのも事実だ。みんなで食事をした昨日も、彼はからかいの対象になってしまっていた。(お調子者だから、気にしてなかったのかもしれないが、そうじゃなかったら少しかわいそうだなぁ、と思いながら見てしまっていた。)

空気を読むスキル、そして信用を得るために必要な誠実さは世界共通で大切だ。
日本人がなぜ世界で好まれるかはここら辺にあるのでは?と思う。
もちろん空気は読みまくるし、「他人に迷惑をかけてはいけない」と教え込まれた私たちは、とにかく相手の立場を考えまくる。

と言っても、彼がベトナム人だからダメで日本人は全員素晴らしい!と言っているわけでは全くないが。
上記で挙げた問題は、すべてBくん個人の問題である。

日本人には日本人特有の問題があるし、海外でやっていくのもラクではないが、多くの日本人が基本的な要素は備えているのかな、と彼を見て思ったのだ。

この1ヶ月でみんなの彼に対する反応がどんどん変化するのが目に見えて分かった。
悲しいかな、彼にはたくさんの問題があったと思う。
彼はまた海外に出るようなので、同じことを繰り返さないようにして欲しいなぁと願っている。彼はまだ若い。だからまだ間に合う。
彼はどんな風に成長していくのだろう。もしくは変わらないのだろうか。

私も彼のことを拒否してしまった一人だが、彼が成長した姿は見てみたいと思う。

最近の生活について

クラスがスタートしてからもうすぐ3週間。来週で全てのクラスが終わる。
分かってはいたが、本当にあっという間だ。

最近なにをしていたかと言えば、平日は午前中に授業、午後に家でご飯を食べたら、また出かけて、スタバで復習と宿題。という感じだろうか。

なぜスタバかと言えば、エアコンがあるからである。
大切なポイントだ。汗をカキカキやるのは集中力に問題が出る。

コーヒー代は少しかかるが、WIFIがあり、好きなだけいられるのでスタバが一番である。しかも香港と違って必ず席がある。(香港のスタバは席を見つけるのが大変。。)

 

また、部屋探しにも苦労している。

ミュンヘンの住宅事情は本当にクレイジー
高いし、応募も多いし、適度に良い場所で良い値段で素敵なお部屋☆はなかなか見つからない。
むしろ、ネットで色々メールを送っているが、返信がこない。その時点で終わっている。部屋を見ることすら叶わないのである。。

まぁ、ここら辺についてはまた見つかったら体験談でも書こうと思っている。

 

そんな感じで忙しい。
今月はたくさんブログを更新したいと思っていたが、無理そうだ。。
色々試したいこととかもあるんだけどなぁ。

来月はひと段落するかもしれないので、それに期待をしよう。

 

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3カ国目に来ての自分の変化

ドイツは私が住む海外の国では3カ国目だ。
学生の時はアメリカ、前は香港、そしてドイツだ。
今回3カ国目のドイツに来てみて、若い頃とは全く違う反応をしている自分に気づいたり、成長したなと思うことがあったので、それについて書いてみようと思う。

 

アメリカの時はまだまだ若く、自分で言うのもなんだが「ザ・日本人留学生」と言う感じだった。
日本人は大人しくて、授業でもあまり発言せず〜〜というステレオタイプを地でいっていたと思う。

英語もまだまだだったが、コミュニケーションはまぁまぁな方ではあったと思う。でも、やはり「会話をうまく返せれば!!」なんて悔しい思いをしたりしていたのは、今では良い思い出だ。(大丈夫、なんとかなる!と当時の自分に言ってあげたい。)

たった1年間ではあったが、「ザ・日本人留学生」なりにもアメリカの田舎で異国の文化をたくさん吸収し、いまの人格形成や生活に大きな影響を与えたのはいうまでもない。

社会人になり、香港・中国で現地企業に就職が決まった時は何も考えてなかった。とにかく日本を出たくて、まさか人生で自分が中国に行くことになるとは思わなかったが、勢いで出ることにした。

とにかく無我夢中だった。中国語はニーハオしか分からない状態で行ったんだからすごいもんだ。と、自分でも思う。笑 

中国は主張文化だと思う。主張しないと生き残れない。潰される。
お店で何かしてほしい時も、ゴリ押しに限る。なんとかしてもらえる。
ごね得文化とでも言えるかもしれない。ごねておくと、ラッキーな結果になることが多かったりする。

言葉が分からないなんて関係ない。とにかく喋る。喋る。喋ってなんとなく伝えて見る。
もしくは言葉が分からないから、英語で喋り倒して、あちらに降参させるという手もある。(英語がわからないので、面倒臭くて色々免除してくれたりする。)

そんな私のごね方は良いとして、この「主張」する術を学べたことは、海外で生き抜い行く上で大切だし、ドイツに来て役に立っている。主張というと語弊があるかもしれないが、臆せずとりあえず「言ってみる」術とでも言おうか。

特に、ドイツでは最初の2週間はほぼ一人旅だったので、色々不都合があった。
その度に周りの人に迷わず話しかける。毎回なんとかなるものだ。

本などで「海外ではみんな空気を読んでくれません。言わないと分かってもらえません!」という文章を、海外に憧れを抱いていた若い私は何度読んだことだろう。

香港にいた時は何も感じていなかったが、今回ドイツに来て改めて自分を見つめ直し始めて、気づいた変化。
ザ・日本人留学生だった自分を思えば、すごい変化だと思う。
確かに年を重ねての変化もあるのかもしれないし、語学力の違いもあるかもしれないが。

香港での生活を経て、少し自分に自信を持つことが出来たのは間違いない。
ドイツでの生活ではどんな変化が待っているだろう。